實業之横濱 |
清水屋岡澤商店
西洋洗濯業
元町1丁目59番地
明治の横浜写真手彩色絵葉書
西洋洗濯業の稱首 岡澤辰次郎「信州の人岡澤勝五郎氏は開港當初來港して國産の生絲賣込に従事し、傍ら蠶種販賣を試みたるも當時偽造の種紙を賣るもの多き為め其影響にて失敗を受け、海岸十三番の生赫検査掛となりしが、獨立の念歇まず西洋洗濯業の有望なるに着眼して勤務の傍ら開業せり、之れ内地人の斯業を始めたる元租なり、然るに其方法を知るものなく清國人を雇入れて之を修得し、以楽外人の往復頻繁なると共に益々盛大に赴き、元町一丁目に大工場を新築して専門に之に従事せしが、業央ばにして歿せられ、偶々實弟脇澤金次郎氏来濱遺志を纏ぎて全く成功せられしは則ち今の清水屋洗濯店なり、辰次郎君は金次郎氏の息にして伯父の家督を承け、今は其主人として継營の任に當り、數䑓の乾燥器を据付け數十の職工を使役し、期日正確に艦船等の注文は頗る迅速に處理して聲價君の右に出るのなし、而して爾来同業者の増加に連れ、紛議を未然に防ぐ為め率先組合を組織して其組長に推され、貢献せる所尠なからず、功労により威謝状を受けたることあり、近來之を聯合組合に改ため君は現に副組長の任にあり、四十年元町外三ヶ町學區會議員に擧げられ、四十一年元町尋常小學校商議員に擧げらる、蓋し本市第一の洗濯業者とす、」横浜成功名誉鑑
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