小泉運送店 小泉千代松
運送
太田町1丁目21番地(625)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
小泉千代松 太田町1丁目21番地「君は明治二年十二月十二日東京府下荏原在六郷村に生る父を八郎左衛門と云ひ世々農業を営む君は其二男にして夙に穎才の稱あり幼にして文を善くし又漢學を修め略ば其大義に通じ十七年普通教育を了るや直ちに進んで東京府立中學校に入り成績頗る佳良にして勉學倦むことなかりければ將來 有爲の青年として教員及び同窓等の羨望する所なりしと云ふ二十年十二月將に其四學年を卒業せんとするに際し遂に廃學せざるべからざるの運命に至り一時村役場等に奉職して無爲に時日を送りけるが翌二十一年二月大に悟る所あり將來身を實業 界に投じて風雲の大望を成し遂げんものと断然意を決して横濱に出で内國通運株式會社横濱支店に通勤し其の計算係として數年一日の如く其職を怠らざりしかば厚く重役の信用を博して漸次重用せられ其の重役となるに至れり之より先同市壽町三丁目に居住せしが二十六年二月に至り同市太田町二丁目三十五番地に轉居し獨力小資本を以て陸上運搬業を開始し明治三十二年二月更に現今の地に店舗を新築して引移り爾来幾多の經験を重ねて店運益々繁昌し世間の信用最も篤く優に同市同業者 の牛耳を執るに至れり是れ一は時運の然らしむる所なりとは云へ君の熱心と勤勉となくんば安んぞ克く今日の隆盛を致すを得んや君の如き實に本邦事業界の大成功者と云ふべし三十七年十一月更に支店を花咲町一丁目十四番地に設けて海運業を營 み業務日々繁榮に赴くと云ふ將來の発展果して如何吾人は刮目して其成果を見んと欲す君亦義侠の念に富み博愛の心深くして從來不時の災難等に對して金品を投じ斡旋盡力せること蓋し一二にして足らざるなり實に得易からざるの實業家と謂ふべきかな幸に自重自愛せよ」京浜実業家名鑑
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