渡辺文七蚕糸貿易商店 弁天通

實業之横濱
渡邊文七商店
蠶絲貿易商
弁天通2丁目38番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

旭日の勢ある蠶絲貿易商 渡邊文七「生絲貿易界に於ける丸文商店の名は橫濱政界に於ける渡邊文七君の名の如く、少壯氣銳、前途あり未來の好望あり、嶄然頭角を拔さて旭日冲天的の慨あるなり、先代文七君夙に横濱に出でゝ蠶絲貿易の業に從事し𨪙々たる名聲早く旣に今日の萠芽を作れり、現主文七君は山梨縣南都留郡の人、小林米太郎氏の令弟にして明治四年八月を以て生れ、十三年七月前代の養子となり卅九年六月續督襲名す、君幼名は金太郎颯々爽々の資あり、蠶絲屑物貿易商及生絲仲買商として隆々たる進運同業に拔んず、 横濱市參事會員橫濱商業會議所常務委員として公事に竭し、横濱取引所、關東煉瓦、帝國肥料、 横濱生命保險、 横濱電氣鐵道等の諸會社に重役たり、實業社會の信望又極めて厚し、」横浜成功名誉鑑

丸文商店「屈指の蠶絲貿易商なり店主渡邊文七君商機に敏にして營業に熱心なり彼の折返絲の改良は君が獨力に成る其信用頗る厚く業務歳と共に伸展せり又傍ら横浜取引所仲買人として有數なるものなり。」現代之横浜

横浜商品日報

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