山下海水浴場
明治23年(1890)北方町字梅田の佐藤五郎吉と増五郎が発起人となり許可を得て山下海水浴場を開場した。場所は谷戸橋から小港までの山下一帯で海水浴場に向かうには谷戸坂通り途中の急坂を下りるか前田橋や吉田橋から渡し船を利用した。開場時は海岸に筵を敷き、衣類籠の提供と簡易更衣所、風呂と多少の飲食物を販売するに過ぎなかったが、西瓜流しや懸賞競泳などを催し海水浴客の拡大を図り、明治32年(1899)には8カ所、その後18カ所になったが大正4年(1915)に埋め立てが始まり閉鎖された。
明治の横浜手彩色写真絵葉書
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