横浜共立女学校 山手町

横浜共立女学校 横浜共立学園
山手町212番地
米国婦人一致外国伝道協会から派遣された3人の女性宣教師、プライン、クロスビ一、ピアソンが、明治4年(1871)年に山手8番に設立した。アメリカン・ミッション・ホームが起源のプロテスタント・キリスト教による女子教育機関
明治の横浜手彩色写真絵葉書

我国最初の女學校 横濱共立女学校 ジュリヤ、ネルソン、クロスビー嬢「明治三年ドクトルヘボン氏女學校を創めしか、之れと前後して米國婦人一致傳道會社は博學篤行の一女傑を派遣せり、則ちクロスビー女史となす、女史着任来女子敦育を以て天職となし、萬苦を犯して継營の任に當りしか、文教未だ洽からず、半開の天地進て女史の薫陶を受くるものなし、茲に於て辛ふじて無辜の混血兄數名を保育して模範を示めせしかば、天使の如き女史の徳望次第に傳播して、漸く邦人女子の來りて教を乞ふものあるに至り、後には有名なる櫻井チカ子女史の如き才媛を輩出するに至れり、卅七年には宏壮なる校堂を増築し、高等女學及専門程度の課目を教授し、目下二百餘名の淑女を養成しつつあり、總理クロスビー女史は米國紐育の出身にして年齢今や古稀を過ぐる六齢、啻に躰躯の強健のみならず、頭脳亦明噺實に欽羨に堪ヘず、終に臨んで特筆すべきは、校舎職員全般を挙げて盡く婦人の手によりて組織せらるるの一事なり、」横浜成功名誉鑑


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