ジャパンブルワリー 山手町

ジャパンブルワリー
山手町123番地
明治2年(1869)アメリカ国籍のウィリアム・コープランドがビール醸造所を開設。後に山手240番の天沼を加えた。明治18年(1885)ジャパンブルワリーに継承、明治屋が総代理店となりキリンビールの銘柄で全国に販売した。醸造所はイギリス人建築家のダイアックの設計。
明治の横浜手彩色写真絵葉書

「本牧行電車千代崎町下車左へ二丁煉瓦及木造の大工場は日本に於ける『ビール』醸造の元祖なり。『ビール』と『エール』の二種を造る。上戸と下戸との飲料なり。『ビール』の種類多しと雖も外國人は『キリン』に限ると申す由。明治初年の創業にして四十年會社と成る工場の坪數千四百卅餘坪職工及従事員千餘人馬車百餘䑓。一ケ年の醸造四萬五百餘石なり。技師長は外國人にして内地の需要高よりは輸出高が數倍すと云ふ。ビール飲むなら『キリン』がよろし販賣部は本町の明治屋にして此所は製造のみなり」横浜遊覧商業案内

0 件のコメント:

コメントを投稿