笠重蕎麦店
蕎麦
尾上町2丁目24番地
横浜公園内に「公喜亭」という茶店も出店していた
明治の横浜手彩色写真絵葉書
笠重蕎麦店 城藤喜之助君「波瀾多き生涯でなくては成功の眞味は解からない笠重蕎麦店主人喜之助君は裸體百貫で郷里の三重縣を飛出して、差し當りの糊口にと人力車の轅棒にと握り付たか初めで、廻り々々宿車屋といふ運命に際會した、それから片手間に烏帽子團子といふ名前へで茶受けを賣り出したのが大當りで、關内の大商店ではその名を知らぬものがないといふ大繁昌、イッソのこと飮食店なら蕎麦屋がよかろうと思ふ所に、並木といふ人の老舗を譲り受けて開業したのは明治卅八年の頃であった、腕達者の職人を雇入れ、家業大事と勉強したから、不審議にも大成功で、價も廉で味がよいといふ評判である、主人は四十五歳、働き盛りの年輩で、こんなこと位では中々お客の満足が買へぬと、一家車輪の働きは見る目も廻る心地であるとは頼もしき話である、」横浜成功名誉鑑
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