鉄桟橋
H.S.パーマーの設計により明治25年(1892)着工、明治27年(1894)竣工した。全長730m 幅19m。
「是れぞ横浜觀光客の見落すべからざる所。海上に突出する事二千尺幅六十尺。更に目を放てば圓形に波を遮るものあるべし。是れ即ち港を畫せる築港防波堤なり。延長一萬二千餘尺悉くセメントを麻袋に入れたるものと堅石とを海中に投じて築き上げたるものなり。此堤は長崎事件償金の内米國の厚意と高島翁の熱心に依り返還されたる金七拾八萬圓を加へ。總額二百萬圓を以て明治二十九年五月竣工せしものなり。港内黑煙を吐ける大汽船は英より來るもの米に去るもの皆是國家の利益を生むなり。毎年七月四日米國獨立祭に此附近に於て大煙火あり横浜名物の一なり。此長き桟橋は見らるゝ如く兩側に汽船を繋ぎ荷客を揚卸する爲目なり。中央の線路は荷物を送り迎へするなり。」横浜商業遊覧案内
明治の横浜手彩色写真絵葉書
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