神奈川神風楼 青木町

神奈川神風楼
横浜遊廓
青木町3576番地
明治17年(1884)高島町より移築し開店。日本人相手の日本館と外国人相手の西洋館の2館があり、架橋でつながっていた。明治30年(1897)に妓楼12、3軒が立ち並ぶ神奈川遊廓が誕生したが、明治33年(1900)に反町が遊廓に指定されたことにより廃業した。
明治の横浜手彩色写真絵葉書

神奈川遊廓「舊街道時分よりの古き歴史を有す。今は反町に三十六年中一廓を成し。娼樓二十一戸娼妓三百餘人一カ年の商高二十萬圓前後なりと。横浜遊廓に比し安値なりとて態足を枉げる人多しと。勘定の世の中。序手に市内の藝妓は四百餘人幇間八人見番四ヶ所使用人六十餘人。」横浜遊覧商業案内

神奈川神風 西村マッ子刀自「昔は横濱随一の遊樓として、燦然たる電光灣頭に輝き、三百の矯恣粉黛を凝せしもの、今は織巍乎たる和洋の高閣或は旅館に或は海水浴に、共の他娯楽の貸席として名物に數へらる、主婦西村マツ子刀自は元兵庫柳原の人、本年五十六蔵の高齢なるが、若ふして夫と別離し、ニ十九蔵の時單身上京し、金杉下町又は吾妻町にて米殻商を營みしが、女ながら覇気満々丈夫をして後へに瞠若たらしむる奇才は、發して浅草公園珍世界の買収となり、引續き幾多の家屋を所有し、家主として立たんとせしが一朝抛却し去りて神風樓を買受け、奇想天涯より落つる的の方針を取りしには、知る人知らぬ人等しく 一驚を喫せし所なう、刀自頗る佛教を信じ、各種の慈善團に加盟せざるはなく、性來の侠名全市に喧し、蓋し當代稀れに見る女丈夫と云ふ可し、因に云ふ目下神風の支配人は刀自の近緣上野正親氏之に當り、夏期には海水浴場も設置し、順次擴張の計畫なりと、又昨四十一年九月神奈川土工紛擾に際し、刀自は鎮壓の爲め出張せし警官に對し懇切なる接待を爲し、其筋より報酬を贈られしも辭して之を受けざりしと云ふ、以て一其襟懷を知るべきなり、」横浜成功名誉鑑

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