六角病院 中村町

横浜社会辞彙
六角病院
中村町1457番地(967)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

永壽堂六角病院長 六角謙吉「六角國手は會津の人、明治五年北海道開拓使醫學部に入り米醫に就き研究數年、同十一年米敎師橫濱和蘭病院に轉勤せしにより、又從つて當市に來り、同病院に在りて實地研究に從事す、十三年十全病院の招聘に應じて勤續三年再び和蘭病院に復歸す、 明治三十二年現所に病院を開設し別に境町二丁目に住宅を置き共に懇篤に患者に接せらる、三十七年伏見宮殿下御渡米之際は御附醫官として隨從仰付けらる、今現に橫濱市傳染病豫防委員、 横濱海務署船舶撿查員、神奈川縣港務部醫務顧問及び市町村小學校恩給金顧問員等の職を帶べり、六角病院は石川の高丘上にありて、空氣清澄風光明婿、豆相の雲煙総房の青螺一眸に集まり、人をして先づ神飛び魂往かしむ、加ふるに建築完全構造新式、名國手の診療と設備の周到を以てす、如何なる病魔も酵易して逃鼠せん、蓋し横濱市病院中の仙嚢と謂ふべき也」横浜成功名誉鑑

六角病院「院主を謙吉氏と云ふ神奈川縣海港檢疫所の醫員にして故米國醫師エルドリッヂ氏の薫陶を受けたるは實に氏なりトス患者室に充てり」京浜名家総覧職業

0 件のコメント:

コメントを投稿