三川靴鞄商店 弁天通


三川商店
靴鞄商
弁天通4丁目75番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

靴鞄商三川商店 三川信太郎「三川商店主信太郎君は明治七年相州秦野町に生る、家は世々農を以て業とす、君十四歳の時橫浜に來り辨天通清水勝五郎氏に随ひ靴鞄製造を實習せること十一年の久しきに涉り、工賃餘すこと八十金、卅一年五月二十五歳にして主家を辭し櫻木町に獨立開店し、卅四年現住所に移轉せり、少資本を以て優勝劣敗の競爭塲裡に出て、あらゆる浮世の辛酸を甞めて玆に漸く渦中より脱するを得、益々奮闘彼岸に達せずんば止まざる氣象は凛乎として眉吉溢る、君頗る英語に巧にして店頭集まり來る外客との應接、流暢圓轉として間然する所なし、蓋し天性によるか將た一藝の秀萬能に超ゆるの謂乎、勤にして儉、今や土地家屋を所有し、堂々たる店舗として立つに至りし君の技倆や决して凡ならじ、」横濱成功名誉鑑

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