横浜開港五十年祭 本町

横浜開港五十年祭 本町
明治の横浜手彩色写真絵葉書

「本町通りの盛観 同町は壹丁目新紀念館建築地附近より六丁目辨天橋に至るまでの間に屋形附の柱を建て『開港紀念祭』と大書したる長提燈と千五百燭のアーク燈十三個を設備し夜中は之れに點火する趣向にて屋形の上には花傘を飾り各戸紅白の幔幕を張り詰め斯の廣き通りも殆んど人を以て塡められ所謂肩摩穀撃の光景を呈せしは寧ろ凄まじき許りにて共粧を凝らされたる有様は筆舌に盡し難きを覺え美観を蓋せし全町の彩光華影と人の花とは相映じて實に空前の盛事に空前の盛観を現出したり。同町一丁目の左側新紀念館建築地附近に天照皇大神立像の鉾花車あり、開港の紀念に開國の始祖とも申べき大神の立像を拝するは特に懐舊の情を一入深からしむるを覺ふ。殊に朱欄金色燦然として人目を奪ふの感あり、その傍らに瀬戸物類、大皿小皿、杯なぞにて鎧、小手當、脛當を又大小刀の東を花瓶にて作り同じく瀬戸物にて巻きたる天秤棒に舊町會所の時計䑓に釣せし大釣鐘と一方に市の徽章を記せし大提燈とを下げ之れを憺へる辨慶の立像あり、周圍に磯馴れ小笹なぞの配置よく原野の趣を偲ばしめたるが是は陶器商組合の飾り物なりと、右側にはキリンビールの發賣明治屋商店にて店頭を綠葉にて装飾し其前に麥酒壜を利用し鳥居形のアーチを建てたるが目立たり、同側のサムライ商會にては廣き店頭にサムライと云ふ名に因みて舊幕時代の大名行列の豆人形を飾り屋上には金色の大鷲が四界を輝かしつつあり、二丁目の左側三井銀行支店にては二個の大綠門を建て其下に舊横濱村の景を箱庭風に作りて飾りたり、その汐干の港、本牧の鼻、掃部山、横濱村の濱邊に網や舟なぞの千されたる様は宛然五十年前の昔を想像せしむるに足るものあり、此隣には美人花に酔ふと云ふの飾物あり右に風姿楚々たる竹林をしつらひ左りに石榴二株、古りし庭の俤を現はし其間に生間垣まめぐらせる門あり、垣の外づれに紅薔薇の花二三輪を咲かせたる風情床かしく門の入口には石灯籠を掩ひて紅葉の大木あり其奥に藁葺屋根の瀟洒たる小座敷を設けここに淡納戸色裾模様の衣裳を着けたる美人、椿の花を嗅ぎて立てる活人形を飾りたるが語らば将に物言はんとするの風俗、行人の等しく足を止めて恍惚たるものあるは又た偶然に非ざるなり、尚ほその背後に『祝開港五十年祭、本町會』と記せる軸をかけ其下に磯馴を活けあり、其側の四丁目には八幡太郎の鉾花車あり、朱欄錦繍は眩き許りにて壹を掩へる西陣の浮織に、亂れ雁數羽を織り出だせるは源義家が奥州後三年の役に雁の亂れ飛ぶを見て伏兵あるを悟りたるに因みてなるべし、義家の像は祝賀々場を莅みて高く儼然として弓を杖に立て威容凛乎たり。四丁目右側の増田屋商店の前なる柳の蔭に一圍の井戸あり、今は本町の往來に撒布する用水に供され居れるが此井戸こそ五十年前の横濱村の庄屋が遣物なりといふ夫れかあらぬか其の井戸の邊りに杉の皮にてしつらへたる假屋の窓に『昔の横濱』と書き記したり其の壁の杉皮を支ふるに櫂を用ひ夫れに網を下げ其苫屋を掩ひて左右に松を植ゑ、一入漁村の趣きを探からしめたるなぞ疑りたる意匠頗る奥床しく見えたり。其隣り角に總黒塗の踊屋䑓あり、十二三より四五歳許りの可愛氣なる少女等が花と開き蝶と舞ふ、七扇連中の踊りにて太鼓は杉田義松、小皷は六郷新吉、大皷は菊川芳次郎、三味線岡安君代、同喜作、長唄は小菊等にて踊の番組は、三番叟、船頭、菖蒲浴衣、おかねおんど、小原女、角兵衛、汐汲み、三めん、子守、枝つ葉、たきやしや、浅妻、かむろ等にて三日間此番組を繰返し演じたり。尚ほここは祝賀會場に至る往還馬車道と本町との交叉する四つ辻に當れる地なるを以て會場方面に至るものと馬車道通りに赴く者と前記の花車や踊りを観るものと打ち混ずるが故に遉がの廣き道路も塡めて全く立錐の地も餘まさず六七名の巡査聲を嗄らして之を制するなぞ其混雑々沓殆んど名状すべからず、是を過ぎ群衆を排して進めば五丁目角に居囃子あり六丁目には厳島紳祉の祭禮と提燈に國旗とをイルミネーションにて現はしたる貿易新報社の一装飾あり衝き當りの辨天橋は両側欄干上に瓦斯を隙間なき程に装置して夜中は之れに點火し畫を欺くの壮観を現出せり。」横浜開港五十年紀年帖

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