八百政
会席料理
相生町3丁目51番地(129)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
「会席料理として其名を知られ料理の美味を以て称せらるるに至れり。」現代之横浜
八百政割烹店 畠山政吉「榮枯盛衰の他業に比して烈しきは實に割烹店に於て見る、含雪亭、かいこ、近かくは千芳の如き、富貴樓の如き、今は只其名にのみ殘りて市内又寂寥を感ずるとにあたり、俄然一方の旗頭として打て出でたるものは實に八百政となす、住吉町の千歳に次で其勉強寧ろ之に過く、主人畠山政吉君は明治六年眞砂町に生れ、曩きに千芳の嗣子として同店を經理せしが、故ありて別にかいこの跡を引受け獨立開業せしは去ねる卅六年秋の最中なりき、女將は叉有名なる愛嬌家にして忽にして聲價大に揚がり、今や市内壓卷の地位に立つを得たり、年少氣銳の夫妻は各其長所を發揮して益々愛顧の意に酬ゐんとする健氣の働き振りは决して此儘に留まるべき理なく、遠からず百尺竿頭に其步を進むるの時あるや必せり、吾人は翹首して大々的成功を期待するに切なるものなり、」横浜成功名誉鑑
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