松屋鰹節店 相生町

松屋鰹節店
鰹節店
相生町4丁目72番地(258)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

「一個市井の商賣にして畏くも皇上の大典銀婚式に商品献上の光榮を辱うし又皇太子殿下に献納の典に浴して賞詞を賜はりたるは是れ横濱の豪商一ノ瀬與左衛門君にあらずや乞ふ少しく光榮ある同店の主人に就きて語らしめよ當主興左衛門君は明治十六年六月十八日を以て現所に生る先代興左衛門氏の長男にして幼名を實次と稱す後家名を継ぎて與左衛門と改む抑も先代は英偉卓犖の人にして公共事業に斡旋し慈善事業に盡力し其の他あらゆる方面に奔走して横濱今日の繁盛を致したるの功や亦尠少ならざる偉人にして當時名譽家列傳中に抄録せられたりと云ふ君幼にして穎敏聰悟温良順學を好み神童の名附近に鳴る其の小學全料を卒業するや横濱商業學校に入學し本科三ヶ年の課程を修業して成績佳良頗る東西商業の事情に通じ將來の造詣實に測るべからざりしが一朝先考の病褥に臥して薬餌に親しむに當りて君是れが看護に携はり商務に鞅掌せざるべからざるに至りて退學し爾来専ら數十名の店員を使役し業務を總理して鋭意熱心事業の盛大を計り經營惨憺販路の擴張を企てしが劃策皆機宜に投じて家運曈々恰も旭日天に昇るの概あり現に鰹節を専業として小菅一ヶ年一萬貫其他卸賣數萬貫の上に達し大概土佐及び駿遠豆の元産地と特約して盛んに市の内外に販賣し更に各地に賣出だして店前恰も絡線繹織るが如しといふ其の品質の精良確實なるは世既に定評ありと雖も明治十六年水産共進會に出品して褒状を受け其の他各博覧會に出品して毎度賞状を受けざることなし殊に今上陛下の銀婚式及び皇太子殿下に献上の光榮を得て賞詞を辱うしたるは能く人の知る所なりとす吾人は益々君の多幸多幅を願ふて茲に筆を擱く」京浜実業家名鑑

松屋鰹節店 一ノ瀬與左衛門「松屋鰹節店は當市隨一の大舖にして、小賣一ヶ年一萬貫卸賣數萬貫の土に達し、土佐及駿遠豆の原産地と特約して盛んに市の内外に販賣せり、曩きに聖上銀婚式の大典及皇太子殿下の御慶事に献上の光榮を得て賞詞を辱ふしたる店主一ノ瀨與左衛門君は、甲州市川大門町の人、先代は明治三年より開店せり、現主は本年廿七歲、此の名譽ある家門を継承して、益々商業を擴張し、雞卵海苔の問屋をも兼ね、多年勤續せし店員平野氏をして隣店なる太田町四丁目に松綠軒なる支舖を開設して製茶を販賣せしめ、市内の祝儀不祝儀の贈答品は直ちに君が本支店にて辨ぜしむるの便法を設く、君は相生會々長及び馬車道商榮會幹事として斡旋盡力され、關係事業としては横濱貿易銀行監査役として頗る令名あり、」横濱成功名誉鑑

「堅實なる老舗にして斯業の外海産物砂糖の小賈を業とす店頭常に顧客の絶ヘざるは以て店主の薄利勉強を卜するに足らん乎」京浜名家総覧職業

「店主を一の瀬輿左衛門氏と云ふ鰹節商として市中屈指の老舗なり信仰厚く商店の基礎極めて鞏固なり。」現代之横浜

「馬車道通り東側に有り葉茶を兼業す。東京の『にんべん』とも稱すべき老舗なり。」横浜遊覧商業案内


現代之横濱

神奈川県案内誌

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