高木米穀商店 住吉町

高木商店
米穀貿易商
住吉町1丁目3番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

米穀貿易商 高木信太郎「明治初年藥種石油等を盛んに取引せし廣房の名は輸入商界を風靡するありし、さしもに旺盛なりし商店も一朝不幸にして倒産の非運に際會す、是れぞ高木信太郎君の厳父房太郎氏のことに關せり、君は明治九年を以て生る、幼にして一家顚沛 の惨禍を目睹し、之れを恢復せずんば止まざるの 決心は深かく小き頭脳に刻せられき、後横濱商業學校に入り夙夜奮毎次優等の成績を占めしが、故ありて中途に退学し、家に歸へりて商業に従事し、帳簿の整理より看貫の細事に至るまで、常に身を被役者の地位に置き風雨寒暑の別なく孜々營々としてに腐心せり、艱難爾を玉成せずんば 止まず、終に厳父敗残の餘燼をして盛んに回煽の焔を擧げしめしは實に君が廿一歳の青年時代なりき明治廿三年後外國米の輸入漸く多きを加ふるに甞り、全力を繋げて外米輸入の業に當り、退ては舊償を償却し着々成功を奏して今日の良果を見るに至れり、近來更らに進んで直輸入を計 り、蘭貢西貢香港等君の名を知らざるもの なく、其販賣高の多き営業者中第一位を占む又盛ならずや、君常に人に語りて曰く、商人の秘訣は正直と信義にありと 、在學の際美澤校長の薫化を受けて之れに私淑するや大なりと、鳴呼君の如きは、啻に家名を擧ぐるのみならず、又母校の名を發揮せるものといふべきなり、」横浜成功名誉鑑

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