大仏鞄靴商会 山下町


大佛商会
靴・鞄製造業
山下町16番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

大佛商會靴及鞄製造販売業 小西熊吉「明治七八年の交、市内元町に住し偉大なる體驅悠然として外商館に出入せる造靴工あり、名姓を知らず人呼んで大佛と綽名す、是れ今日大佛商會ある素因なり、商會主小西熊吉君は明治四年十二月大磯臺町に生る、三歲の時父に伴はれて横浜に來れり、常時父の職業は洋人の古靴を買ひ集め更らに之を分解して靴を造くるにあり、明治初年のこととて造靴業者は一に淸國人に限り、其數五十餘名もありしが、决して邦人に傳習するを欲せず、君の父は百方苦辛し、裁斷されたる革片を摸型とし、或は縫合せし個所を分離せしめ、能く製造の一部を自得せり、明治八年に至り元町に些やかなる店舗を出せり、謂ふ勿れ古靴修理の一賤工と、忍耐と克己終に彼を玉成せずんば措かず、練習に練習を增し、工夫に工夫を重ね、終には堅牢なるは大佛の靴に限れりとまで賞賛さるゝに至る、熊吉君幼より乃父の業務を見習ひ、熱心裁斷に注意せしより、夙に一名工として喧傳せらる、明治廿五年現在の住所に移轉し、盛に職工を督勵し、先代の受けし名聲を失墜せざらんことをのみ腐心しつつあり、君眞仰心に篤く、本化信敎會幹事として努むる所尠なからず、」横濱成功名誉鑑

横浜姓名録

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