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| present-day impressions of Japan |
サミュル・サミュル商会 Samuel, Samuel & Co.
輸出入商
山下町27番地
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
サミユル、サミユル商会「目下旭日の勢力あるサミュル商會は明治廿五年頃の創立で、マーカス君及サミュル君の両サミュル兄弟が合名組織を以てサミュルサミュル商會と称し、軍器の賣込外資の輸入等て大に利益を得て、発展の基礎を作つたのである、邦人田中善助君入館後支配人ミッチェル氏に献策してタンク油の輸入を計画し、浅野総一郎氏と販賣の契約を爲したが、今では自分の手に収めてライデングサン會社として一手に販賣するに至つた、今年春百五十萬圓の株式組織に改め、神戸鷹取横濱平沼等其他に油槽を設置し意気衝天の慨を以て業務を擴張しつつある、尚同館は事業の関係上本店を東京に移し横濱は積卸手続を為す支店と爲す豫定なりと、館員としては顧問ロビンソン氏以下外人十四名、日本人十二名各重要の事務に當つて居る、」横浜成功名誉鑑
サミュル商会「是はまだ纔か二十年以来メッキリ仕上げた商館で今や旭日沖天の勢がある、サミュル、サミュル氏は明治十七年頃迄は山下町の一隅に長屋住ひをして微々たる輸入業を営みしものだが、廿五年頃からぐんぐん頭を揚げサミュル氏の兄マーカス、サミュル(倫敦市長を勤めた人)と合名組織でサミュル、サミュル商會を創立し、軍器の輸入外資輸入等で大に儲け出した、以前は諸君が知る通り我公債を外國に募るのは大抵此商會の手を経たもので、故星亨なども何の譯かで數萬圓のコミッションを商會から取つて揚々腕車で駆け出すのを見た事があると話す人もある位だ、併し全體に亘り其商ひ振は英國式の作戰慎重、實行勇敢を最も能く打ち現はしてゐる、一例を言ふと邦人の股肱田中善助氏の入舘後間もなく、石油のタンク輸入を支配人ミッチェル氏に献策すると氏も之に同意して詳細に倫敦の本店に具申したが二年経つても三年経つても、更に何等の音沙汰がないから、横濱の方では無論廢案と合點してゐると、最早こちらで忘れた三四年後に突然今よりタンク石油を續々送るから其用意をしろとの電報があつた、則ち此間に本店では洲越運河のタンク船通過其他關聯する問題を、極めて秘密の間に解決し其劃全く成るに及んで疾風迅雷的に命令を下して来たのであるさうだ、夫から一手販賣人を求め、先づ三井物産へ交渉したが熟議を要するさて容易に決せず、淺野へ持込むと大事業だとて天カラ受け附けず、最初の發議者先生共大いにうろたへ居ると澁澤男が『乃公が後援者となるからやれ』と云ふので初めて淺野氏が手を出すやうになつたのであるさうだ、併し今では販賣契約満期でサミュルは之を其手に收めライヂングサン會社としてタンク油を販賣して居る、など、知つたか振りに書く譯では無いが、兎に角サミュルは二十年足らずの間に山ほど儲け、其儲けの糟で、今年春から百五十萬圓の株式組織に改めたといふ藝當は、何ぞドエラいものではあるまいか」實業之横浜


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