研究 本牧十二天の茶屋

本牧十二天の茶屋
上の写真は「本牧十二天の茶屋」として紹介されているが、
どのような茶屋なのか、店名を記した資料もなく詳細が不明であった
「鏡海楼」ではないかとの指摘をいただいたので
ここにまとめておく

下の写真にはHONMOKUとキャプションが入っている
また、看板には店名らしきものが書かれてあり
鏡海楼と読める


次に茶屋と鏡海楼が同一なのか確認したい
建物手前をA、山側2海建てをC、その隣をBとして
本牧十二天の茶屋の写真と確認する


鏡海楼について記載のある資料は以下のとおりで
十二天脇、十二天社内、十二天のなどの記述がある
・本牧には鏡海楼、月見館の料理店等ありて手軽を旨とし眺望に富み一日、或は逗留等海水浴の上避暑するに優なることを得(横浜案内)
・水浴せむとて本牧十二天脇なる鏡海楼にものせし折(西周全集)
・八月ニ日周石川氏勃平と同じく横濱本牧鏡海樓に往き、海に浴す。(西周伝)
・十二天社内の割烹店鏡海楼へ詰かけるので同家は大振ふなるが、今日から根岸の競馬も初まれ場此見物をかけて鏡海楼へ押出すとの事ですから(横浜開港資料館紀要 横浜の芸能)
・市中で第一流の料理店は〜十二天の鏡海楼(無黄文集)
・絶壁に沿える鏡海楼は前日までに大半貸切となり(明治天皇と神奈川県)
・小湊海岸には月見館だの鏡海楼などという海水旅館もできましたが(横浜今昔)
・料理店及飲食店〜本牧町の桜家、鏡海楼〜等何れも名あり。(日本漫遊案内)
・料理店 鏡海楼 本牧十二天際(横浜繁昌記)

横浜案内(明治35年)、日本漫遊案内・横浜繁昌記(明治36年)を最後に鏡海楼の名が見えなくなる

明治の横浜手彩色写真絵葉書

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