横浜巡行汽船
青木町3577番地
「かながわ行き 乗船賃金2銭」の看板 弁天橋と神奈川碧海橋との間を往復した乗合汽船
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
「今日の如く電車なく汽車の囘數も少き。明治三十三年に囘漕業者木内義綱氏の開業せしもの。其当時は索船なりしが今は通行税の關係より瓦斯發動船となれり。起點を神奈川停車場前神風趾に置き七艘を以て交通の便を補へり。港内の模様を見るに宜し夏は忠泳館と云海上繫船泳場へ發着」横浜商業遊覧案内
神奈川汽船 橫濱巡航汽船株式會社「神奈川方面の開發に連れ、橫濱との交通漸く頻繁を加ふるに當り 、陸路よりすれば汽車の便ありと雖も、此小區劃の往來には多少のヲックウを感ぜざるを得ざりき、茲に於て天與の水運を利用して簡便なる交通機關たらんと、所謂神奈川汽船を始めたるは明治卅四年にして、之が創始者は當時松影町三丁目に住せし木內義綱氏なりき、一般市民特に勞役者行商人等は其惠に浴して大に其便を喜びたりき、其後電車も開通するに至りたるも、依然として尙別種の便益を市民に與へつゝあり、卅六年四月業務を擴張して橫濱汽船株式會社とし、木内氏又株主中の有力者たりしが、卅九年八月更に變更して故熊谷操氏の單獨經營に移り、本年十一月更に現在の組織となる、目下巡航船三隻一日八十回の航行を爲し平均三十圓弱の收入あり、毎年夏期海上風薰る頃は乘客最も多しと云ふ、」横濱成功名誉鑑
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