神奈川県案内誌 |
金線サイダー製造所
蓬莱町4丁目48番地(1876)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
金線印サイダー製造元 秋元巳之助「蓬来町川岸に宏大なる洋風建築物あり、轣轆たる機關の響、呼呶たる人夫の聲、二六時中絶ゆることなし、是れぞ秋元巳之助君が清涼飲料水金線印シャンピンサイダーの工場とす、君本年六十五歳而も共見識の卓越に商略の機敏なる同業者中匹儔を見ず、夙に清涼飲料水製造に腐心し、明治九年の頃巳に佛國より機械を輸入し、年々新奇の飲料水を製出せしが、明治廿年更らに英國の最新式を撰び、諸般の設備を改良し、機具を整頓し、明治四十年には原動力に電気及瓦斯を使用する等全く斯業界の模範工場を以て目せらるるのみならず、猶自家獨得の製造機を考案し、終に好評嘖々たる金線印シャンピンサィダーを製造するに至る、今や全國至る所に普及して、炎熱焼が如き三伏の候、萬人をして涼味を聯想せしむる最好飲料水は即ち是なり、實に同種品類中の白眉とす、君は千葉縣の人、明治四年初めて横濱に來り、始め翁町に開店、後尾上町に移り更に擴張の為め現所に轉じ又鎌倉八幡前に支店を設く、蓋し邦人にして斯業を營むものの元租なりと云ふ、令嗣秋元君又敏活の人、主として事務經營の任に當り、孜々發展の爲めに盡瘁せらる、」横浜成功名誉鑑
「市内に入りて目に付くは屋根上の大瓶なり。是れ清涼飲料『金線サイダー』の製造所なり。煉瓦造二百餘坪職工千餘人販路全国に普し。種々なる「サイダー」あれど本品は其優等なるものなり。勿驚一ヶ年の製造高百餘萬圓公私宴會に缺くべからざる品となる。發賣所は尾上町中澤彦吉商店。「キリンビール」と共に本市の二大勢力。横浜遊覧商業案内
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