神奈川縣案内誌 |
原木組
土木建築請負業
蓬莱町3丁目13番地(496)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
建築業の古参原木組 原木仙之助「現代原木仙之助君は本年十六歳工手學校に通學中なり、君の祖父なる人は千葉縣原木村の人、明治五年頃より土木建築業を營みしが、嚴父之を世襲して橋梁架設を以て最得意とせり、鶴見村に煉瓦工場を建てて煉瓦を製造し、鶴見矢向に原木組出張所を設けて盛に營業範圍を擴張せり、卅五年六月遠逝せらる、爾後金子啓三郎氏監督支配人として百事に鞅掌し、能く幼中の現主を補佐し明治卅八年に至り組合組織に改め、石川徳右衛門氏を組長に仰ぎて偉業を大成せんとす、四十一年十月横浜倉庫會社埋立工事を請負ふや、二ヶ年半の契約期限なりしが、勉勵董督其功を奏し一年十ヶ月に竣工せり、實に期に先つ八ヶ月の速成なりし爲め三萬五千圓の賞與を受けたりといふ、又以て其業務の整盛なるを察知すべきなり、 其他横浜船渠の第一船渠工事も完成して 銀杯を受け、諸會社より勞に酬ひて表彰せし金銀賞牌木杯等枚擧に遑あらずといふ、」横浜成功名誉鑑
「横浜市に在りて土木建築其他工事の請負業者間に巨擘と仰がるるものを原木組となす同組は原木仙之助氏が實に今日の基礎を遺せしものにして事務所を蓬莱町三丁目に設け盛んに工事の請負を爲せり、彼の勸業共進会の建築の如き實に其請負にかかると云ふ」現代之横浜
現代之横濱 |
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