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| 横浜社会辞彙 |
三忠商店
雑貨商
雑貨商
万代町1丁目7番地
(114)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
萬代町の三忠商店「北海道へ支店を置いて始めは菓物を手廣く商つてゐたのであるが、後には海産物外國米玉葱等も販賣するやうになり、七八年以前から堀田忠二郎氏、同隆治氏の合名組織となつたのであるが、代表者の隆治氏は先年市會議員の當時市長選擧の際に利益問題の爲めに節を賣り、自派の地主派連に沸湯を飮ました事があつた位で、利益の前には何物をも犠牲に供することを辭さないから随つて商取引も中々激しい事をやる。 上ツ面は大の佛敎信者で殊勝氣に念佛やら墓參やら、宛然還俗した一向宗の坊主をツくりだとは或人の評であるが、蓋しそ れは適評と云つて可からう。 然しろれが爲めに忠二郎氏が柳巷花街へ入浸しになつてゐても、珠數ばかり懐中に入れてゐてろくな者がゐない店員を使つて居ても、怎うやら恁うやらお茶を濁ごして行かれる譯かも知れない。」實業之横浜
「同社は堀田隆治同忠次郎氏等一家の設立に係るものにして海陸物産の委託販売并に貿易に従事し又別に三忠果物部ありて各国果物の問屋商業を開始し何れも営業隆盛にして市内屈指の商店たり。」現代之横浜
三忠合名會社「諸雑貨を初め菓物海産物石油類を江湖に供給して斯業者間に重望あり價格を非常に廉とし大に販路を擴めつゝあれり」京浜名家総覧
菓實問屋の大宗 堀田 隆治「三忠合名會社は菓實海産乾物を輸出し、猶雜穀石油肥料等の輸入をも取扱ふ、代表社員堀田隆治君の先代忠次郎氏初め三州より出で、東京に行き商務實習後慶應元年橫浜に來り、明治七年始めて菓實商を現所に開業す、明治二十年現代隆治君之を継承し、更に業務を擴張し海産物、雜穀、石油、肥料等を開始し、卅三年令弟忠次郎君と合名組織に變更す、本店は菓物を重要なる商品とし、橫浜菓實問屋の白眉たり、凾館小樽の支店は石油砂糖を主とし天産海産農産物を扱ふ、此複雜なる商業を機敏に運用し、同業者中一頭地を拔くの商勢欽羡するに堪へたり、君は現に商業會議所議員に列し、又市會議員として令聞あり、海産商組合には評議員に、菓物組合には組長に推され、橫浜中央銀行には取締役の重位にあり、埋地方面の有力者として聲名嘖々たり、」横濱成功名誉鑑
三忠合名會社代表社員 堀田忠次郎「三忠合名會社は堀田隆治君及び忠次郎君兄弟によりて組織せらる、菓物問屋を主として海産物雜穀乾物の賣込引取を兼ね、北海道より滿韓の端まで三忠の名の響かざる所なく、如何に其商業の手廣きかを知るを得べし、令兄は多くの公職に擧げられ猶咎も足らず奔走さる、忠次郎君常に自家の店務を處理して内外各般の顧客に滿足を與へ、自家店員に對しては恩威兼行はる、宜なり商運日に益々隆昌に赴き、將に同業界に於ける頭目たらんとするの慨ありて、勢名倶に他の囑望する所なり、君は實に明治五年一月當市堺町に於て生る、君又市設備調査委員の一人として盡力せらる、」横濱成功名誉鑑
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| 現代之横濱 |



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