若林絹物店 太田町

現代之横濱
若林商店
絹物輸出商
南仲通3丁目43番地 南仲通3丁目57番地 太田町1丁目20番地(404)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

「店主は若林鏻三郎氏なり輸出絹物商として信用ある有数の商店なり。」現代之横浜

加賀羽二重の由来と若林鏻三郎「君は金澤の人明治二年を以て郷里に生る、加賀絹は同地の特産にして昔より下級藩士の内職となりしものなるが、廢藩置縣の當時より一層機業熱を勃興せり、明治十六年同地の人綿野吉二氏南清地方を視察して羽二重手巾の好望を報告せしかば、一層活氣を與ふるととなれり、然るに隣縣福井は大に之を奬勵せしかば、加賀絹を壓倒するの形勢を示せり、此の時に當り君は僅に十八歲の靑年を以て自ら神戸に行き、同地某商人と結托して外商に向って賣込を開始せり、其結果頗る好况を呈し本國に蓄積せし貨物は暫時にして空虚となれり是れ加賀羽二重輸出の發端なり、君尙進んで機業を改善し品質を精撰し、福井物に劣らざる優等品を産出するを得、廿三年頃橫濱に至り、介兄孫四郎氏の名義を以て南仲通三丁目に店舗を開き盛に賣込を創め、卅一年八月より自己の名義に改め益々盛大に赴き、終に有數の羽二重賣込商を以て目せらるゝに至れり、」横浜成功名誉鑑

横濱蠶絲日報

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