![]() |
現代之横濱 |
醍醐商店
洋織物商
扇町1丁目11番地 翁町1丁目1番地
洋織物商
扇町1丁目11番地 翁町1丁目1番地
醍醐栄右衛門が明治3年頃に石川町2丁目で開業、栄右衛門の長男、安之助が古洋服商の事業を継承し羅紗卸商へと転換・発展させた。明治10年代に扇町1丁目11番地へ移転したのち、明治18年頃に業態を洋服商へと改め、翁町1丁目1番地に支店を展開した。この支店では安之助が経営を担い、実質的な後継者としての地歩を固めていったとされる。安之助が継承すると羅紗卸売業に本格的に参入しその販路を全国へと拡大していった。明治38年に羽衣町1丁目に支店を設け、洋服部門を移転させるなど積極的な事業展開を進めた結果、三河屋は同業界において広く推重される存在となった。しかしながら、大正11年3月、経営方針の誤りにより、信用と事業基盤を大きく損なうこととなり事業整理を余儀なくされた。
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
羅紗商三河屋本店 醍醐安之助 翁町1丁目1番地「明治三年頃より石川町二丁目に古着商を開きし三河屋本店は、時勢に鑑みる處ありて明治十八年頃より現所に移りて洋服商に轉じたり、先代は醍醐榮右衛門氏といひ千葉縣君津郡の出身にして、本年古稀を過ぐる二齡、その健全なるは壯者を凌ぐの慨あり、現主安之助君家督を相續して益々父業を恢弘し、明治三十四年頃より羅紗卸商を開始し販路を全國に普及せり、三十八年に至り羽衣町1丁目に支店を設け洋服部を之に移して益々營業を擴張することとなれり、君父子の經營は終に今日三河屋成功の因となりて同業者間に推重せられ、創立以來同業取締役及壽町署管内古物商總取締に推され、叉區會議員に擧げられ、現に商業會議所議員の職にあり、終始能く其資に任ぜしは衆の等しく感嘆する處たり、君や本年實に四十六歳、」横濱成功名誉鑑
![]() |
横浜姓名録 |
0 件のコメント:
コメントを投稿