三河屋洋服店 羽衣町


三河屋 醍醐富之助
洋服店
羽衣町1丁目2番地
明治3年頃、醍醐栄右衛門が石川町2丁目に古着商を開業、明治10年頃(明治13年5月との記録も見られる)扇町1丁目11番地へ移転した。明治18年頃には業態を洋服商へと転換し、翁町1丁目1番地に支店を開設、栄右衛門の長男である安之助が店長を担った。この後、安之助が扇町本店を継承し、翁町支店は閉鎖するが、明治38年、羽衣町1丁目2番地に新たな支店を設け、洋服部を移し羅紗卸売商として全国に販路を拡大していく。
羽衣町店は明治40年9月、安之助の弟の富之助が継承し三河屋洋服店として独立、大正4年2月には姿見町1丁目22番地に支店を開設した。その後、伊勢佐木町3丁目に移転し富之助から春枝氏、保氏と継承されていった。

初代:醍醐栄右衛門(生年不明)
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├── 長男:安之助(慶応元年〈1865〉5月生)
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| └── 長男:栄次郎(明治20年〈1887〉12月生)
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└── 次男:富之助(明治13年〈1880〉生)

横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑

三河屋洋服店 横濱市羽衣町1丁目 店主醍醐富之助氏は明治十三年を以て當横濱市内に生る洋服卸小賣商たり。氏は同市扇町醍醐安之助氏の弟なり。同店は先代の開業に端を發するものなるが十八九年以前現所に其の分店を設け之が店務を續承し漸次顕著なる伸展を遂げて以て今日の大を致せり。目下三村勝蔵氏店務一切の衝に當り専属工場六ヶ所を有し店員六名を使傭して年額十萬圓に近き賣上高を計上し居れり。扱品は既製品を主とし市内店賣並びに小數の仲間賣をもなし居れるが取引は凡て現金主義なり。氏は初めより誠實を旨とし確實なる製品提供して以て業務に精励せし効空しからず今や伊豆の下田及び同市姿見町一丁目に支店を有し店礎堅實の域に達するに到りたる亦宜なる哉。氏は性温厚にして一般の信望浅からず謠曲に趣味を有し居れり。

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