椎野絹織物店
絹物加工品貿易商
本町1丁目19番地(295)
浅草出身の椎野賢三が明治16年(1883)頃に開業した
明治の横浜手彩色写真絵葉書
絹物加工品貿易商 椎野賢三「横濱に於ける加工絹物輸出に古き歷史を有せる椎野賢三君は、明治六年墺國維納博覽會事務官に隨行を命ぜられ、墺獨兩國の有名なる絹織物羅紗製造工塲及加工塲等を視察して歸朝し、爾來歐洲輸出の絹織物に就きて研究數年、明治十六年に至り獨立開店せり、嘗て歐洲大陸に於て視察せし要點を斟酌して、我國刺繍に重を置き、輸出を計りし其明や違はず、非常に歓迎せられしも、在来職工の風習類る陋劣にして動もすれば時機を失するの悔なしとせず、君一計を案出し幼女を養成して職工に當てしに、綴密にして細心なる點優に男工を壓し一革新を與ふるに至れり、君又初二重加工品の原科僅少なるを憂ひ其の生産力を増さんとせしが、常時僅に京都を除きては他に機業地なし、よりて上州の織物仲買人小野里喜左衛門氏と計りて桐生に於て試織せしめ、両三回の検定を経て顔る良成績を収むるを得たり、時に明治十七年八月なりき、それより各地競ふて之れを試織し、ハンカチーフ其他加工品の原料として莫大なる需用あることとなれり、次に甲州特産なる甲斐絹の産額少く其幅狭きを改良して上州に於て織成し輸出を試みしに、是又意外の好況を呈し完全なる輸出品となれり、君は斯の如く絹物輸出に於て多大の功績を有するとともに、自家店舗も年と共に益々盛大に赴き、絹商椎野の名は遠く海外に及びて知らざるものなし、君は東京浅草の人、本年實に五十有九歳、」横浜成功名誉鑑
椎野賢三「欧米各国に我国特産の絹織物を供給して外商間に盛名を博ず戦後の経営頗る斯商者に竢つ亦多大なりとす豈奮勵一番せずして可ならんや」京浜名家総覧職業
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