murray |
美産舎
美術金属器商
本町2丁目33番地(942)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
美術金属商 美産舎「美術金属器製造販売業美産舎は、明治廿二三年の頃故山田䄿養君外二名の合同組織にて創立せるのにして、䄿養君の個人経営となりしは、其の翌年頃の事なりとす、君は有馬藩士故忠兵衛氏の息にて、幼少江戸に出て勝安房氏の経営せし塾に學び、十八歳の頃米図に遊學し、廿ヶ年の星霜を異郷に過ごして帰朝せしが、横濱税関鑑定係に勤務して後辞職開店するや、我が加工美術の賣込を図り発展の緒に就く内、不幸四十年三月享年五十八歳にして不帰の客となる、未亡人ノブ子君は克く亡夫の遺業に奮励し、仕入賣込記帳等に至るまで自ら其の任に膺りて愈々店務の拡張に力めつつあるが、夫人は神奈川の人、廿歳䄿養君に嫁し、東京某塾に女子教育の一般を修めて内助の功を全し賢婦の称を恣にす、年歯四十二歳、」横濱成功名誉鑑
0 件のコメント:
コメントを投稿