松石屋陶器店
陶器店
本町2丁目22番地(569)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
陶器絵付の先覚 井村彦次郎「松石屋陶器店は横濱最古の沿革を有す、最初薩摩燒を輸出する目的を以て本町二丁目に開店せり、薩藩士某々氏等の共同事業なりしも、世に謂ふ士族の商法とて充分の好結果を見る能はず、偶々洋式便器を製作せば利あらんと働むるものあり、産地に於て試製し送り来りしが不慣の結果途に失敗に了れり、時は明治八年の頃なりし、大和高市の人井村彦二郎氏の先代其後を引受け、単獨に營業して松石屋の號を揚ぐ、元来油商なりしが、着眼非凡なれば、尾濃地方より素地を買入れ、好に應じて繪付を創始せしに、其計畫圖に當り非常に歡迎されたり、明治十年の頃には職工二百餘人を使用し盛大を極む、則ち東京九谷なる繪付の鼻祖なり、十四五年頃に至り製品滞積して稍不振の傾向を現せしにより、販路擴張の為め米國紐育に支店を開きしも時機向早きにより途に閉店するに至れり、現代彦二郎君は元治元年に生れ、慶應義塾に入りて具に學業を勉勵せしが、卒業後明治廿七年シカゴ博覧倉開催に際し米國に遊び、自家商品につき研究する所あり、是れによりて其の嗜好のある處を察し、圖案原形等に改良を加へ、意匠を新にして其發展を企圖されたり、明治卅八年聖路易博覧倉には東京出品協會設立委員並に神奈川懸總代に選出せられて再び米國に渡航し、在留一ヶ年間残務に至るまで蓋く修了して歸朝せられたり、古き継歴ある店舗を、少壮にして而かも新進気鋭の君によりて纏承されたるは、奮々其の隆昌の域に達すべき兆なりと信ず、」横浜成功名誉鑑
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