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| 横浜姓名録 |
渡邊民三郎商店
漆器売込商
相生町1丁目16番地 住吉町2丁目27番地
(1268)
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
住吉町の渡邊輸出店「創立は明治廿五年、爾來漆器製造販賣及雜貨輸出商をしてゐるのであつて、開店後間も無く日清戦役に際會し戦後諸外國人の好奇心の爲に日本雜貨の輸出が盛んに行はれ、輸出店は何れも非常の賣行を見たが當店も其均霑に浴した一つなので日露戰後の取付も以前に優して日本雜貨が外國に歓迎された處から優勢なる輸出を爲して大に發展をしたのである。店主渡邊爲三郎氏は数年前米國に渡航し親しく商状を視察したことがあつたが、其當時既に獨逸漆器は日本漆器の販路を侵蝕してゐることを見たが、奈何せん日本漆器は實用に適せずしてお盆の如きも水、湯などが入りて屡々是を拭ふ時は處々剥落して木地を出すが、獨逸品は斯る缺點なく化學應用の巧致を極め、木地のボール紙に似たるものへ漆に酷似せるものを塗つたのであるが、素人には鳥渡見分けが出来ぬ程に模倣してあるから日本漆器は勢ひ不捌けになるので、一時骨董品扱ひにされた時代は最早過ぎ去つたので、以上の處へ着眼された氏は歸朝後之等日本漆器の弱點を改良すべく製造法に苦心されてゐる。當店は所謂居座貿易で無く相互の銀行を仲介者として直輸出をしてゐるのである。」實業之横浜
雑貨輸出商 渡邊民三郎「漆器製造賣込、其他陶磁器、金屬器、絹物加工品紙細工等、所謂輸出の雑貨品類、何ンでもこいの注文に應ずる渡邊商店主渡邊民三郎君は岐阜縣加納町の人、慶應二年の生、生家は美濃名物の傘製造家のよし、君は二十歳にして横濱に出て實務を練習し、明治廿五年頃より賣込商となり、卅六年に店舗を現住所に新築して移輾せり、米國聖路易博覧會には状況視察として渡米し、其翌年には南洋諸島へ渡航し研究發明する所少なからず、爲めに大に得る所ありて其輸出を試み、其販路は次第に搬張されつつあり、君現に漆器賣込商同業組合評議員に列す、」横浜成功名誉鑑


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