横浜姓名録 |
野澤組
運送業
吉田町2丁目64番地(567)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
野澤組 野澤金太郎「懇切慈母の如く迅速電雷の如しとは店主か常に店員を警戒するの語なり滊船三盛丸を以て東京浦賀横須賀へ定航せしめ兼て内外滊船各鐵道の貨物を取扱ふ」京浜名家総覧職業
野澤組回漕店 野澤金太郎 港町6丁目3番地「橫濱に本店を置き東京日本橋區小網町に支店を設け、盛大に海陸運送業を營み居れる野澤組回漕店主野澤金太郎君は信州の名族にして、落魄橫濱に來りたる時は漸く荷物馬車の車力として糊口を凌ぎたる苦境にありき、されども天性怜悧にして堅忍なる君は神聖なる勞働に從事して耻とせず、孜々營々業務に怠らず、僅に貯蓄せる零碎の資金を以て獨力運送業を開き、次第に擴張して吉田町都橋際に店舗を移し、次で今の處に轉じて手廣く京濱間の回漕業及び横須賀浦賀方面に羽翼を張るに至れり、君幼時不幸にして修學の素養を缺きたるも、資質慧敏頭腦明鬯事理に通じ商機を見るに長ず、叉交際に巧みにして能く他を重んじ、一長を有する者と談論して其說を聽きて参考に資するを樂しむ、宜なり一車力より起りて今日の成果を得たるもの决して偶然にあらざる也、」横濱成功名誉鑑
現在の横濱 |
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