横浜正金銀行
対外貿易金融機関
南仲通5丁目83番地(4)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
明治13年(1880)本町4丁目に貿易専門の特殊銀行として開行、同年7月に南仲通に移転した。銅葺き8角形のドームを有する建物は明治32年(1899)着工し5年の歳月を経て明治37年(1904)竣工した。設計は妻木頼黄、建築監督は遠藤於菟。ドームは関東大震災で崩壊したが昭和42年(1967)復元された。現神奈川県立歴史博物館
「本市に入りて先づ目を驚かすは此建物なり。全部花崗石造地下室とも四層八百餘坪。暖房用機關室、電氣室、貴重品保管室等は最新式を應用す。工事には八ケ年の長日子と百二十餘萬圓を費し明治三十七年に竣工せり。本行は明治十三年の創立にして資本金三千萬圓積立金千七百五十萬圓にして専ら貿易商の機關と外國為替の取扱を爲し。日本銀行に次ぐ大銀行なり行員二百餘人巡査派出所、郵便局も備ふ。」横浜商業遊覧案内
「敢て贅評を要せず我邦唯一の貿易金融機関にして世界須要の郡府に支店出張所を有す其基礎の強固なるは其石造家屋の堅牢なるに優る」京浜名家総覧職業
對外貿易金融機關 橫浜正金銀行 「橫浜第一の建築として宏大壯麗、巍然として中空を摩し、觀光の内外人を驚かす者は橫濱正金銀行なり、同行の創立は明治十三年にして、始め同二年十一月中村道太郎氏等二十三名發起し、正金取引の一銀行を組織して海外爲替荷為替の業を創め、内外貿易の間に介して金融調理の事に任ぜんと出願す、同十二月政府の許可を得翌年二月を以て開業せり、資本金は最初三百萬圓內三分一は政府是れを提供し、業務の發展增進と共に二十年三月六百萬圓と爲し、次で三十二年九月更に二千四百萬圓拂込濟と爲して現今に及べり、同行は國立銀行條例に準據せる者なるも、事業の性質範圍等自ら異なるを以て、二十年七月橫濱正金銀行條例の發布あり、業務の性質明確となりしが、次で政府は監理官を設け、日本銀行の例に傚ひて監理する事となれり、現時海外の貿易機關としては左の支店出張所を有せり東京、大阪、神戶、長崎(內地支店)倫敦、里昂、桑港、布哇、孟買、香港、上海、漢口、天津、北京、大連、奉天(海外支店)紐育、芝罘、旅順口、遼陽、鐵嶺、安東縣、長春(海外出張所)同行は支那地方に於て一覽拂手形發行の允許を得、三十五年天津に於て發行せる事、上海及び牛莊に於て弗銀及兩銀引替手形を發行せる事、また日露戰役當時軍票整理に當り、同時に一覽拂手形を銀行劵と爲し、三十九年九月勅令を以て是が規定を發布せられしなど著しき事業とす、頭取は中村氏以來數回交迭相馬永胤氏を經、現在は高橋男爵是れが任に在り、」横濱成功名誉鑑
明治の横浜手彩色写真絵葉書
神奈川縣案内誌 |
横浜市商工案内 |
0 件のコメント:
コメントを投稿