帝国商品館
勧工場
伊勢佐木町1丁目2番地
明治32年(1899)開店
も大正3年(1914)に焼失し、跡地には平沼銀行が建てられた。
明治の横浜手彩色写真絵葉書
株式會社帝国商品館 土井學人「伊勢佐木町通一丁目は最殷賑の場所とす、その入口に立てる間口七間奥行十五間の三層西洋館は即ち帝国商品館なり、明治卅二年十二月太田金五郎、晝間駒之助、木村恒吉氏等の發企に依り創設せられたる勸工場にして頗る繁昌を極む、現今主任として土井學人君一切管理の責に任し大に面目を一新する所あり、君は廣島縣御調郡羽和泉村の人、出濱時は外国人と共同して輸出商を營みしが數年の後之れを閉店して當館の主管を托せられ、爾来種々の改善に嶄新の方法を講し殊に一頭地を抜く、趣向は階上に日本固有の建築造家の模型及び座敷書院乾房等の飾付を主として現したるにあり、近時海外諸國に日本茶室の流行を見る傾向あるに際し、最も時好に投したる處置なりと云はさるべからず」横浜成功名誉鑑
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