横浜活版舎 住吉町

横浜社会辞彙
横浜活版舎
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住吉町5丁目72番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

横濱活版舍 山崎芳藏「明治三年十一月上原鶴壽、陽其二の二氏は元辨天英佛語學所內に橫濱活版所を置き、洋紙兩面摺の京濱每日新報を發行す、其當時より身を活版職工に投じて印刷事業に從ひたる故山崎芳蔵君は、毎日新聞東京へ移轉後活版業を引受け、獨立して官公衙及一般の印刷需要に應ず、實に我橫濱に於ける斯業の嚆矢たり、卅八年五十六歲を以て物故せらる、目下未亡人ぬい子刀自の名義に變換し、令甥鈴木斧太郎君經營の任に當り一切の業務を處理せり、經歷多き横濱活版舍が我文明に貢献せる功勞を多とするとともに、主腦たりし山崎君が一介の職工より身を起して、三十餘年の久しき確乎不拔の精神を皷舞して大成せしは、叉一方に於ては立志傳中の人たるに違はず、君子女の敎育に意を注ぎ、長男馨一君高等商業學校を出で領事館補として紐育に在り、次男雄二君高等商業學校に修養中なりと云ふ、」横浜成功名誉鑑

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