八木屋商店
西洋織物小間物商
弁天通4丁目65番地(308)
元治元年に州干弁天近辺で創業、明治5年に弁天通りに移転、明治37年に西洋式店舗に改築した。化粧品、香水各種、洋服などを販売していた
明治の横浜手彩色写真絵葉書
西洋織物小間物及洋服裁縫業 八木屋商店 主人黒田重兵衛「元治元年辨天通に開業せし以来幾ど四十年間、西洋織物と小間物販賣を業とし中途更に洋服裁縫業を兼ねたり、流行の織物數百種常に歐米に於ける新嗜好を探ぐりて輸入するが故に漫遊外客の新衣を調へんとする者は必ず足を此店に向けざるはなし特に外國貴婦人の如き時事の流行に後れざらんと務むる者は或は服地を此店に取り或は全部の調進を命ずるが故に車馬の來往門前を絶たず洋服附属品も亦た蒐め手店棚に陳列せるを以て一切の事茲に辯せざるはなく主人始め雇係員の客に接すること親切丁嚀、信用を重んじ便利を旨とし堅實にして而も薄利に甘んずるが故に、門戸の壮麗と共に信用益々厚きを加へり」現在の横浜
八木屋 黒田重兵衛「船便毎に欧米各国の諸雑貨を輸入し顕官巨商の間に有力なる華客ありて品質捌方頗る盛なり濱港に於る斯商の大家と云ふも誣言にあらず」京浜名家総覧職業
西洋雜貨及織物商の鼻祖 黑田重兵衛「西洋織物小間物を商へる八木屋商店は實に元治元年の創業に係かり、橫濱市としては四十六年の老舖什麽に思出深き物譚よ、人生五十と定まりたる運命餘す所僅かに四歲、天地の悠久に比ぶれば物の数ならねども、入木屋商店は早くも比に三代を更へられき、初代黑田重兵衛氏は東京の人、進取の氣性禁じ難しで早くも橫濱洲干辨天の邊りに開店す、物珍らしき諸國の人々此の新開地に集いて唯一ケ所なる舶來店より調へられたる土産は、實に奇異の目もて郷土の家族親戚を驚かしけん、明治五年に及び現住所に移轉し益々手廣く商ひしが、二代目忠三郎氏は明治卅七年宏壯なる西洋式店舗に改築して辨天通の美觀を添へられたり、現主重兵衛君三代目を相續し年齢未だ十八歲の少年なれば、親權者として忠三郎氏後見に立たる、抑も當店の特色は西洋婦人向雜貨及舶來織物地にして、男女洋服裁縫を兼ね、年來の熟練と鄭重なるは夙に江湖の信用する處にして、直輸入にかれる貨物の廉價なるは同業者間に異彩を放てり、辨天通の巨商として隣保に推重され、現に同町聯合組合の委員たり、」横浜成功名誉鑑
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