横浜船渠 入舟町

横浜船渠株式会社
船舶の製造修理その他一般鉄鋼業
入船町1番地
横浜船渠株式会社は明治24年(1891)有力商人の共同出資により資本金300万円で設立され、その規模は横須賀の船渠に次ぐと言われ千人の職工が働いていた。後に三菱重工業に吸収合併された。写真の第2号船渠は恒川柳作の設計により明治29年(1896)12月30日竣工、明治30(1897)年4月28日開渠した。
明治の横浜手彩色写真絵葉書

横浜船渠の営業種目は1.船渠及曳船業 2.船舶、汽機、機 鑵、機械器具の新造修理其他諸般の鉄工業及之に関連する材料品の製作販売 3.倉庫、私設保税倉庫、倉庫賃貸等の各業並税関貨物取扱人の業務

「市内に於ける大会社の一にして船舶の修理、器械器具の鋳造製作を目的として設立せらる又倉庫業を営む、船渠又鉄工部は資本金三百七十五万円積立金百万円を有し配当は常に一割二歩を維持し成績良好にして横浜港として必要缺くべからざる事業たるなり」現代之横浜

「明治二十四年の創立。水陸三萬餘坪船渠三基建物五百餘坪職工四百餘人を以て船舶の修繕に従事す。倉庫會社を合併し倉庫業を兼營せり。入舟俱樂部は其附屬。入渠船員慰安の設備有り。」横浜商業遊覧案内

船渠曳船及船舶修繕倉庫業 橫濱船渠株式會社「帝國開港塲の首位たる橫濱港の一機關として、唯一の船渠業者たる本社は、明治廿二年六月原善三郎氏外卅二名の發企によりて創立を出願し、英國陸軍工兵少將ヱッチ、エス、パーマー氏の設計を用ゐ、更に専門大家の考案を參酌し、廿七年九月第二號乾船渠築造に着手し、廿九年十二月竣工し、第一號乾船渠は廿九年七月起工して三十年十二月完成せり、然るに時勢は以上二個の船渠に滿足せざるの傾向を示したるにより、更らに目下第三號乾船渠及潮入船渠の造に着手し、四十三年三月竣成の豫定なり、年々內外船舶の入渠するもの百二十、小修繕 をなすもの四百に垂んとす、當社の資本は三百萬圓にして、只に船舶のみならず、陸上の諸機械一般の鐵工業及倉庫業並に稅關貨物取扱業をも營めり、則ち重役諸氏は如左、」横濱成功名誉鑑

現代之横濱

神奈川縣案内誌

0 件のコメント:

コメントを投稿