横浜開港五十年祭 弁天通

横浜開港五十年祭 弁天通
明治の横浜手彩色写真絵葉書

「辨天通りの壮観 同町は壹丁目より六丁目辨天橋附近に至るまでの両側に各一間宛地上より高さ十三尺の藤棚を作り最長三尺五寸より二尺までの花房を一間内に二十三本の割にて着け是れに二間毎に岐阜提燈を下げ其両側に同町聯合會の提燈を藤蔓にて吊し叉其間一間毎に十燭の電燈を附け各丁の入口毎に杉の葉にて鳥居形のアーチを建設し通り四ッ辻と各丁の中央に十三個のアーク燈を點飾せり、又五丁目の空家にベンチを据へて無料休憩場を設け同四丁目七十三番地の空家を利用して救護所を設けたり。當日紫房の長く垂れたる藤棚の門を潜りて辨天通りに出で仰げば其藤棚には市の徴章に花電燈をつけ満目藤花、彩燈の光り目も文に人の集まれること本町通りにもまさり廣からぬ往來は人の気に滿ちて殆んど息も詰まる許りなり、人を押別けて進めば二丁目の右側に日本畫、三丁目の左側に洋畫にて何れも開港前の横済村を畫き、當今の繁昌を以て往時の荒村百戸の漁家を示し昔を偲ぶの料と成せり、其二丁目の『横濱村』と相對して藤棚の上に假装の大蟹を飾りたり、五尺に一丈に餘まる蟹の甲をとりて開港を連想せしめたる趣向なるべし、三丁目に進めば野澤屋商店の店頭に高かく飾れる飛行船が先づ人目を惹く、気嚢を紅白の布に船體を綠葉にて作り中に祝開港五十年祭と現はし此間に無數のイルミネーションを點じたるが最も奇抜なるは飛行船の推進器を電扇に利用して運轉せしめ居る事なり、推進器に煽られたる風は熾に起りて人をして蘇生の思ひあらしむ、尚ほ店頭のキュービットの神、天照皇大神宮の飾り物は一層人目を惹けるを覺へたり、其前に押繪にて藤娘の飾物あり、天井裏を悉く藤花に飾り無數の色電気を點ず、藤花に『就開港五十年祭』と記せる旗を膽がせ、按摩が犬に褌をとられたる態なぞ劫々に趣あり、其隣りには生間恒に瀬戸物の皿にて朝顔の花を咲かせたるあり、原合名會社は開港常時の横濱を書きし縦二間半横五間半の大額面を入口に装置し其前に普洲千辨天社に備へありし自然石の手洗鉢を据附け筧から冷水を噴出せしめ行人観客を接待せしは好趣向なりし也、其前側には七扇花助連中の手踊あり、三丁目には神功皇后の花車を飾り附けあり、神功皇后が三韓征伐より凱旋船中の様を寫したる鉾花車にて䑓に『凱陣』と記し鳳風の舶金色燦燭として人目を眩ぜしむ、四丁目には信濃屋洋品店が店頭に昔の艇船、昔の甲冑等を飾り正金銀行に面したるところに御殿風の燈籠十基を建て簀を以て其上を掩ひたるなぞが目立ちたり。辨天通りは通の廣からざる上に華麗なる装飾を施されしを以て之れを見物せんと群衆鮨の如くに押詰りたる為め種々の装飾さへ緩々立止まりて見るとも出來ざる程の混雑を呈せしかば通の入口に『馬車往來止め』と云ふ標札を建てて全く其往來を禁じ一丁目毎に警戒の巡査埃に塗れて混難を制しつつありたり。」横浜開港五十年紀年帖
明治の横浜手彩色写真絵葉書

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