瀬谷碌郎医院 元町

奉祝記念誌

瀬谷醫院
外科手術 内科診療
元町3丁目143番地 石川仲町2丁目(3752)
明治の横浜写真手彩色絵葉書

新進の醫家 瀬谷碌郎「新進醫家として元町鹽汲坂下附近に鳴る、瀬谷碌郎君は東京の人、明治十六年を以て本郷區三汲橋の家に生る、父を直久氏と云ひ投機業に勉め、 後横濱に來り明治二十九年六十五歲にて歿せらる、碌郎君は早くより醫を志し、三十ニ年濟生學舍に入學し、業卒りて三十四年九月前期試驗に及第して免狀を得、上野樱木町なる丸茂病院の助手とな。實修を重ね、卅八年始めて横濱に來り十全病院の助手として精勤院の內外に好評あり、勉學の後、後期試驗に登第して遂に一家を爲し、四十二年三月現所に醫院を開設するに到れり、內外科共に可しと雖る得意は外科にありと、君や溫顏清節の仁にして容姿一見瘦鶴の如きも、力量非凡にして常に素人相撲の牛耳を取り、又擊劍水練を好み技倆群を脱するるのありと云へり、」横浜成功名誉鑑

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