友田商店
薬種貿易商
境町2丁目36番地(74)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
友田嘉兵衛 境町2丁目36番地「久しいかな我が國商業道徳の振はざる事や夫の信用手形の如き善美なる良制度も之れを我が國に行へば啻に其か本来の特色を発揮して以て實業の発達を助け得ざるのみならず反って詐欺的取引の勃興を助長し信用確實なる取引を妨ぐるの不幸を来すに至らしむ而して斯くの如き結果の現はる所以のものは一に商業界に於ける道徳の萎微不振に基くものなる思はば誰か長大息せざるものあらんや此の時に方りて本邦實業界の中心たる横濱に於て同地貿易界の重鎮を以て目せらるる我が友田嘉兵衛君の人物を思へば吾人は大に意を強うするものなり君は天保十三年十月大阪市東區道修町二丁目六十三番地に生る父を次兵衛氏と稱し君は其三男なり幼より學を好み成績頗ぶる優良なれば将来有爲の少年として夙に教員及び同窓生の羨望する所なりしと云ふ普通教育習了の後更に進んで高等學校に入學せんと志せしも將來實業の多望なるを察して飜然志を改め明治四年意を決して横濱に出で生絲問屋某方に仕へて同業を見習ふ後ち仲買商某方の店員となりて生絲貿易の業務に當り熱心と正直とを以て日夜勤勞したる結果篤く主人の信用を博しかも自ら多大の經験を重ねて同業の蘊奥を極むるに至れり明治十一年主家を辭し一己獨立して生絲貿易業を開始し爾來數十年間寝食を廃して持据經験一日も懈らざりし結果家運隆々として榮え遂に今日の盛大を見るに至れり之れより先き君深く本邦商人の道徳観念に乏しきを憂ひ専ら心を商業道徳の振興に注ぎ自ら率先して善良なる模範を中外に示し以て大に本邦商人の信用を高めたり其功績眞に大なりと謂ふべし君嘗て横濱商業會議所會員として非凡の辣腕を揮ひ今は區會議員として常に市民に重きを置かる」京浜実業家名鑑
友田商店 友田嘉兵衛「當舗は薬種引取の巨商にして欧米新進國の薬種何品となく輸入せり東京を初め都市の卸商に薬種を供給し巨界の琤々たるものなり」京浜名家総覧職業
藥種貿易商 友田嘉兵衛「友田嘉兵衛君は明治四年橫浜の貿易日に盛なるを耳にし來りて原田屋生絲店に入り仲買業に從事す、常に熱心と正直を自家の箴として勉勵せしかば大に主人の信用を博し、明治十一年主家を辭して獨立生絲藥種業を開始せり、君常に邦人實業家の道德心缺乏して只己を利するのみを以て本能とし、目前を見るに敏くして永遠に盲なるを慨き、身を以て範を示さんことを誓ひ努めて公平なる態度をもて外商にしかば、君と取引するものは何れも其寬厚にして欺かざるに感じたら、君は大阪の人家世々藥種商にして天保十三年十月の出生なり、公生涯としては商業會議所議員に列し叉區會議員として盡カせられしこと少なからざりしといふ、」横濱成功名誉鑑
「合資会社なり始め友田嘉兵衛氏一人に依りて薬種貿易商を営みしが後組織を今の合資に改む、鳥居商店と並び称せられ本邦屈指の薬種貿易商として知らる。」現代之横浜
横浜貿易新報 |
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