武田屋豚肉店 山下町

武田屋本店 小手清三郎
豚肉、ハム
山下町191番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

小手清二郎 山下町191番地「君は明治十一年三月千葉縣山武郡豊成村大字武射村に生る父を五左衛門と云ひ君は其の長子なり家代々農を以て業とせしが父五左衛門氏時勢に鑑みる所ろありければ十四年家を擧げて神奈川縣に出で養豚業を創む時に君年四歳なりき當時養豚業は今日の如く盛ならず寧ろ口に適せざるものとし て忌み嫌ひしが唯横濱の地外人多く外國の船舶輻湊するを以て他に比しては需用者も多かりき而し其大勢を達観するに價額安値にして馴るるに従つては決して嫌忌すべきものにあらざれば將來に於ては必ず販路の拡張せらるべきを察し今や財力乏しくして困難の身に迫るものあるも忍耐して此難關を通過し以て時の至るを待つに若かずと鋭意養豚に従事し大旱の雲霓を望むが如く其時期の至るを待ちしが天は氏を棄てず寧ろ大に先見の明ある氏に幸福を與へ今や豚肉は社會の上下を通じて購求するに至りければ氏は期正に至れりとなし廿三年豚肉販賣所を山下町百九十二番地に設け正直に廉價を主として賣弘めしかば日に月に隆盛に赴けり君其の後を受けて家業に勉勵せしが一福來りて一難来るは實に人生の動かす可からざる命數にして漸く進運に向ひしに不幸にして祝融の災に偶ふに至る然も君の困難に屈せざるは殆んど天稟の如く其の祝融の災に偶ひたる後は更に奮然として意気却って大に揚るものあり是に於て再び店舗を建築し勵精事に當りしかば囘禄の損耗を時の間に取返し今日の如きは其の販賣額の多き實に横濱同業者中の第一に位す人となり精力絶倫にして膽氣あり物に屈せずして必ず爲し遂げざれば止まず又公共の爲めに盡すことを好み赤十字社通常會員衛生組合委員等甚だ多しと云ふ其の將來益々發展すべきは蓋し疑ひなかるべし」京浜実業家名鑑


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