東京火災保険横浜支店 常盤町

神奈川縣案内
東京火災保険株式会社横浜支店
保険
常盤町3丁目35番地(276)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

松本佐蔵 常盤町3丁目35番地「君は安政六年正月大阪市北區北野に生る父を佐兵衛氏と云ひ家代々酒造を以て業とし頗る舊家にして北野桝屋の名は人口に膾炙し現に令兄は酒造に従事して益々繁榮の策を講じつつあり而して君は佐兵衛氏の三男にして十一歳の時穀物店の小僧となりて備さに辛苦を嘗め盡し商業的智識の要訣を得ること甚だ多かりき然れど君は長く店丁となりて留ることを欲せざりければ十九歳にして穀物問屋を開業し大に爲すあらんとせんが機運の未だ到らざるものか種々の障害を受けて遂に閉店するの止むべからざるに至れり是に於て君は飜然として悟る所あり幸ひ令兄の東都にありて安田銀行に就職するのありければ君は之れを力にして東京に出で其の縁故を以て同銀行と商人との中間に立ちて貸金の取次を爲し居たるが二十三年の頃株式に大暴落ありて非常なる打撃に遇ひ其の窮境殆んど救ふべからざるに至れり然れど君の不屈不撓なる刻苦勵精挽囘の策を講ぜしに幸に九死に一生を得て二十五年には深川に一大家屋を新築し穀物問屋を開業せしに天の君に幸を授けざるの甚だしき又々同店を人手に譲渡すの止むを得ざるに至 れり其後暫く閉散の身となりて英気を養ひ居たりが安田氏君の人と爲りを見同氏の經營せる東京火災保険會社に入らしむ時に明治二十六年なり君感激して事務に當り一意専心同行の繁榮を圖り かば事務整理し社運次第に進むものありき然れば 安田氏も愈々君を信じて横濱支店に轉勤せしめ社務の爲め依頼する所ありければ君益々拮据黽勉遂に同會社横濱支店長となり敏腕なる實業家として社會の崇拝を受くるに至れり君爲人温厚にして然かも機敏且つ公共事業に盡力し赤十字社義勇艦隊建設委員獎兵義會等の職甚だ多し」京浜実業家名鑑

本邦火災保險會社の鼻祖 東京火災海上運送保険株式會社支店「我國火災保險業の嚆矢たる東京火災保險會社は實に明治廿年七月の創始に係れり、初めは資本金二十萬圓なりしが、業務の發達と共に次第に增資して海上運送をも兼營し、資本金一千萬圓諸準備積立金一百萬餘圓の大會社となり、萬般の施設悉く具備し實に斯界の泰斗を以て目せらる、本店は東京日本橋區西河岸にあり、大阪神戶橫濱名古屋福岡に支店あり、京都金澤廣島仙臺長崎高松に出張所あり派出所代辨店千餘ヶ所最も迅速敏活に執務せり、橫濱支店支配人松本佐藏君を始め田中信一郎渡邊延太郎喜多英二等の諸氏悉く適才を以て稱せらる、本社重役諸氏は取締役社長武井守正君、取締役境野大吉君、大谷嘉兵衛君、磯野良吉君、宮島信吉君、長松篤、安田善三郎君、監査役佐々田懋君、中澤彥吉君、評議員監督安田善次君、其他評議員七氏、當社の特色は營業收益を株主に配當せずして悉く準備金に繰替へ、被保險者に對する責任の保證とするに在り、又常に火災豫防に盡力し保險加入以外の家財にも極力保護を加ふるにあり、又以て其繁榮の故なきにあらざるを知るに足らん、」横濱成功名誉鑑

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