日盛楼
西洋料理店
太田町5丁目85番地(196)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
西洋料理店日盛樓 米山フク子「今は走卒輿䑓と雖もる洋食を云爲し、口にして通を衒ヘど、開港當初は葡萄酒を啜れば即ち血を想ひ、肉を啖へば蠻臭度し難しと爲して即ち指弾の的となりき、此の時に膺つて洋食店を開業し、人気を歛めんとす容易の業にあらず、日盛樓は元白鳥氏の經營に係り、明治元年の開店なり、初め露店より仕出し其の能く人気を得しは洵に甘香美味を提供せし白鳥氏の力にして、君が當年の西洋料理家たると市有敷の西洋建築とを持して英佛の粋を蓋し、料理の技倆を発揮せしに據る、現代米山女史は相州久里濱の人、年四十八歳、廿一年渡米し、二十ヶ年料理業を營み、其の間研究を重ねて歸朝し、四十年同樓を譲受けたるもの、目下東京に支店を有し、同棲内には玉突場を設けて來客の嗜好に應じ、元祖たる暖簾に對して一層勉強しつゝあり、」横浜成功名誉鑑
三平伊之助「洋風の大厦優に多人数の宴會に適し料理も佳絶他の模倣すべからざる伎あり要するに此樓は管内繁華の中心に居を占め同業界の泰斗なりとす」京浜名家総覧職業
「西洋料理店として開業古く料理又美味にして其名を博せり。」現代之横浜
神奈川縣案内誌 |
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