矢崎病院 相生町

神奈川縣案内誌
矢崎病院
病院
相生町1丁目11番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

矢崎病院長 矢崎嘉六「當市內科專門の良醫に乏からぎれども、少壯にして而かも學殖の蘿蓄深く、經験の造詣多き矢崎國手の如きは稀に見る所とす、國手は山梨縣の人(本年三十七歲)、明治卅二年第一高等學校醫學部を出て、東京大學病理科に入り、青山博士の助手となり、板橋共立病院長を兼ね、後博士の推薦によりて鳥取縣立病院に奉職し、副院長として內科醫長の地位にあり、明治三十八年辭職當地に来り開業す、 國手は心臓病呼吸器病及び生殖器病の診療を最も得意とし、患者の治を得しもの幾何なるを知らず、脚氣病研究の爲め年々數千枚の施療券を配付して、警官其他公共の事業に從事するものに配布し懇篤に診療に從事す、閑を得ること少なしといヘども寸隙猶ほ惜みて研究に餘念なく、近時獨人へーレル氏に就き獨語を專攻し居らるゝは更らに感服すべきなり」横浜成功名誉鑑

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