神奈川縣案内誌 |
内国通運株式会社横浜支店
運送業
弁天通6丁目106番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
運輸業者の白眉 内國通運株式會社横浜支店「本社は東京日本橋區佐內町に在り、現在資本金百二十五萬圓、諸積立金五十五萬圓、明治五年六月の創立にして其の以前は舊幕時代の開設に掛り、初め陸運元會社と稱し、地方に在るものを出張所分社取扱所眞誠講休泊所抔呼べり、爾來幾多の變遷を經、明治八年三月內國通運會社と改め二十六年七月商法一部の實施に伴ひ、更に現在の稱號となせり、而して地方に在るものは支店出張所荷扱所荷集所叉は派出所と稱し、特約店をも合する時は其數實に千二百五十ヶ所に及び、汽船取扱所の如きは到る所に設置せられ、最も迅速に業務を運びつゝあり、双盛なりと謂ふべし、橫濱支店は明治五年六月十五日の創設にて、二十年九月以來現所に移りしが當初は出張所たり、二十一年五月支店に擴張し今日に及びしものにて、高島町の神奈川荷扱所は支店隸屬のものとす、本社創立當時の業務は郵便物の遞送請負を主とし、概ね陸送の事に從ひしが、時勢の進運と共に營業組織も一變し、現在にては海陸運漕及通關貨物をも取扱ふに至り叉造船事業をも兼營せり、而して創立當時の發起人は何れも祖先以來郵便飛脚の業を專らとし兼て貨物輸送を業とし居たる人々にて、明治四年祖先傳來の驛遞事業官營となるや、餘儀無く官の監督保護を受け、相聯合して陸運元會社を設立したるが、是れぞ本社の端緒にして設立功勞者叉は出資者の重なるは左の諸氏なりき、吉村甚兵衛(創立當時の頭取)、西村仁三郎、山田八右衛門、村井彌兵衛、古川市兵衛、武內喜右衛門(創立當時の副頭取)佐々木荘助(同上)河村幸(同上)佐久間庸則(創立當時の監督)小津善兵衛、米林俵作、坪野平作、また其の營業成績に至っては左の賞牌褒狀等に徴し證明して餘りあるべし、」横濱成功名誉鑑
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