神山絹物商店支店 尾上町

横浜社会辞彙
神山商店支店
羽二重輸出商
尾上町2丁目23番地(736)
明治の横浜手彩色写真絵葉書

神山喜一郎 尾上町2丁目23番地「君は慶應元年十月下野國安蘇郡田沼町に生る父を八下田友七と云ひ其次男なり家は農商の業を兼ね舊家として近郷に聞ゆ明治十三年君齡十六にして出でて上州桐生の織物商佐羽吉右衛門氏に仕へ居ること數年擢でられて各地の仕入部を擔任す又以て君の技量を推知するに難からざるなり君大に讀書を好み餘暇あれば必ず之れが修養に努め或は漢籍に或は英語に力を注ぎ以て將來大に爲すあらんことを期せり忽ちにして主人の着眼する所となり抜擢せられて東京本石町の友店に轉ず君が業務に誠實熱心なる益々同輩の敬慕する所となる降て二十一年の交に至るや我國羽二重貿易頓に発達し大に好況を呈す茲に至り主人大に見る所ありて君に託するに羽二重係の重任を以てす氏日夜店務に鞅掌し殆ど寝食を忘る爾来主人の信任漸く厚く尋で横濱支店(當時同支店は横濱市南仲通に在り)賣込を兼務せらる當時條約未だ改正せられず居留地制度の存在せる爲め外人多くは治外法権の下に跳梁跋扈し商業取引に關する困難亦少なしとせず君亦此の艱難に處して毫も屈せず克く前路の荊棘を廃して勇往邁進し反って多大の信用を博して取引上却て圓満の結果を見るを得たりと云ふ桐生の神山芳次郎氏夙に君が才器を愛して切に自家に迎容するの意あり君竟に之に應じ出でて神山氏の養子となる時に明治二十五年なり己にして君益輸出貿易の発達に志す所あり二十七年一月佐羽商店を辭し獨力神山商店を南仲通三丁目に置き専ら絹物輸出業を營む其後日清戦役の爲め市價頓に低落し君多大の影響を蒙りしが一難を経る毎に一倍し来る君が勇氣は毫も沮喪する所なく遂に衰運を挽囘して店運再び降盛に赴き現住所に移轉して横濱市場に堂々の商陣を張るに至れり」京浜実業家名鑑

羽二重輸出商 神山喜一郎「君本姓は八下田、明治廿五年桐生の神山芳次郎 氏の養子となり其姓を冒す、幼にして 頴敏漢英にして學に通ず、佐羽商店に入りて着實に勉強し成績儕輩を壓す、主人抜擢して横浜支店に派遣を命ず、當時條約未だ改正せられず外商の暴慢其極を極め、内商往々にして彼の爪牙に罹る者多し、君此際に 處して圓轉滑 脱巧に機微を捕へ、能く内商の聲價を墜さず佐羽商店の名をして益々發揚せしめき、廿七年其職を辭して獨力神山商店を出だす、時又日清戦役に際し商勢振はず、羽二重の如きは市價 頓に低落し一般影響を蒙むること頗る大なり、君亦其套 を逸せず逡巡の色なきにあらざるも、毫も勇氣を沮喪せず一難は一難より挽回し來り、よく衰運を撤退して再び隆盛に赴き、堂々たる旗幟貿易市場に鮮明なるに至れり、又偉ならずや、君慶應元年野洲田沼町に生る、」浜成功名誉鑑

現代之横濱

實業之横濱

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