本覚寺
神奈川青木町
曹洞宗で地蔵菩薩を本尊とする小机雲松院の末寺
曹洞宗で地蔵菩薩を本尊とする小机雲松院の末寺
横浜 手彩色写真絵葉書 図鑑
「曹洞宗の巨刹にして開山は陽光元吉大和尚と云ふ、文久年間米国公使館の在りし所にして、當時の假館に當てし本堂は十年前の自火に焼失し、今は広壮なる新築成り、高島山角巍然として甍の聳ゆるを見る、」横浜成功名誉鑑
本覚寺黒薬「高島山下青木山本覚寺の發賣。神経性の妙薬なり。製薬の為め本堂を焼失したる如く云振らす者ありしとかで今は製薬中止の有様なりと。諸人助けの為め奮発すべし。」「本覚寺は山麓に有り。嘉禄二年の創建にして開港当時公使館に代用せられ。第一次通商条約を此處似て締結せられし履歴を有す。今の本堂は火災の爲め改築されしもの・本市の代表寺院とも云ふべき立派なる堂宇なり。認可僧堂ありて数十名の雲水を養ふ。名物黒薬は此処より出づ。」横浜職業遊覧案内
青木山本覺寺住職 守長楚宗師「此邊起伏せる一帶の丘陵を總稱して靑木と呼ぶ、天正年間青木周防守の居城は本覺寺山の背にあり、寺下の掘割は上田蔵人が上杉勢を拒がんが爲に築きし權現山城暫壕の遺址なり、本覚寺は陽光元吉和尚の開山にして、寺観壮麗近かく横濱灣を隔てて本牧岬を望み眺望顔る佳なり、現住守長楚宗師廣島の出身にして有徳の譽高し、抑も此寺は文久二年米國領事館となりしが、生麦の變ありし日竿頭高く信号旗を掲げしに、是れを見たる英國艦隊は陸戦隊を組織し歩武堂々神奈川さして進軍し遁れ來りし英商の一人を保護し一面薩藩に迫らんとせしにより、神奈川奉行より危険を慮り領事の引上げを請求せしも頑として応ぜず、青章族の下にその體面を保持したりといふ、先年米艦隊廻航の際は、同寺より祈念の絵葉書を發行して遠來の将士に頒ちたりと云ふ、」横浜成功名誉鑑
0 件のコメント:
コメントを投稿