神奈川海岸
明治の横浜手彩色写真絵葉書
「此港は南本牧浦の方より神奈川出崎までの間、斜にくり入れたる如くなる入海成り、その間舟路一里餘なり、宿内青木の方、古よりの港にて、諸國の船のかゝる所成り、是を神奈川港と呼ぶ、西北に山あれば風の患なし、此入海の東の方に活鯛篽あり、夏冬の間、御用の魚をここに飼ひ置く所成り、秋より冬まで水浅くして寒気にたへずといふ、往古の事蹟は詳かならず、鶴岡八幡社藏文永三年北條時宗の條に、當社領武藏稲目、神奈川西郷、役夫工米のこと云々とあれば、古は同社領の地なるべし、又古へよりのいひ傳へに、中央に瀧の橋あり、上無川の架す、このみとし字を略して、かな川といふは下無川のもとし字を略して、しな川といへるにひとしと寛永五年版、齋藤徳之の紀行文に見えたり、」横浜成功名誉鑑
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