横浜商業学校 北仲通

横浜商業学校
北仲通6丁目76番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書

商業敎育の木鐸 美澤進先生《市立横濱商業學校長》「三十年一日の如く、第二期横濱市民の中堅たる幾多の俊髦を養成しつつある、商業學校長美澤進先生は備中の人、少にして鄉里の碩儒坂谷朗盧翁の門に遊び、後箕作秋秤氏に就き秦西の學を研究す、福澤翁の慶應義塾を開くや有爲の青年多く其の塾に集まる、先生も亦福澤翁に親炙し頗る出藍の譽ありき、明治十五年横濱の豪商小野大谷茂木等の諸氏商業學校を設立して大に後進を披濟せん計畫を立て其校長の選定を福澤翁に托す、翁即ち先生を擧げて其任に當らしむ、蓋し鑒識非凡の眼光克く之を看破せしもの、先生の赴任さるるや校運隆々として起り、生徒年々多を加ふ、不幸火を失し校舍を擧げて烏有に歸せしも却て擴張の動機を與へ、文部省令に基き甲種商業學校の認可を受け、明治卅七年には南太田清水耕地に宏壮の新築を了し、優に五百名の生徒を容るるに足る學校となれり、設立諸氏の継営宜しきを得たるは論ずるまでもなし、而も良校長を得て殆ど茲に卅年、始終一貫商業教育に盡瘁さるる先生の功労は全國を通じて多く見ざる所、況んや商業補習學校及び女子商業補習學校を設けて同じく先生を校長と仰ぎ、横濱商業界の後繼者をして盡く氏の薫陶を受けしめつつあり、如何に先生が熱心にして而かも其の天職に忠實なるかを窺知す可きなり、されば横濱商業會議所は此學界の耆宿を特別議員に推選し、又同校の出身者五百四十七名補習科百四十四名は、等しく先生の高徳に報ひんが為め、市の元老及設立諸氏と謀り三萬金を醵集して贈呈せしと云ふ、師弟の情誼藹然掬す可く、又以て當横濱の誇とす可きなり、(追記 本年は恰も先生の還暦に當るを以て、小野光景氏等發起して十一月某日盛大なる彰德會を挙行せり、朝野の名流及同校出身者の來會するもの千五百餘名に及べりと云ふ》、」横浜成功名誉鑑

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