現在の横濱 |
金港堂商店
寫眞器
相生町4丁目57番地(974)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
金港堂寫眞器店 宮澤喜太郎「寫眞機械材料双眼鏡の販賣と寫眞製造を以て有名なる宮澤喜太郎君は、最初寫眞に趣味を有し、實験の結果、機械薬品に鑑識の明あり、終に薬店より一轉して寫眞器舗に移りしは今より甘年以前なりといふ、良好なる薬品は當店と丸善より他に最良の品なしとは素人寫眞家の常に唱道する所なり、店舗は割烹店八百政の筋向にあり、君温厚着實にして能く公共の事に奔走し、慈善又は公共の團体より交渉を受る時は無料又は大割引を以て自ら其任に當る、宜なり陽報の却りて屋を潤すが如きは、蓋し積善の餘慶に出づるものなるべし、」横濱成功名誉鑑
「八百政の筋向ふにあることはカメラを持ってゐる人は大概知ってゐるであらう、寫眞機械、薬品及材料を賈る店が市内には辨天通の丸善と此店より外にないから幾分かお天狗の気味がある、始めは其道の好者でカメラを引擔いで歩いた道楽連中であったのであるが、其當時自分の使ひ料である薬品其他の材料を仲間へ分けてゐたのが此處に開業する元素となったらしい、薬種商の免許を受けたのはこれよりずっと後の明治廿幾年である、頼まれれば自費で寫しにも行くといふ、某新聞の崇拝者である。」実業之横浜
和英横浜案内 |
0 件のコメント:
コメントを投稿