京浜実業家名鑑 |
山中商店
瓦斯コークス
吉浜町甲14番地(1001)
明治の横浜手彩色写真絵葉書
石炭問屋 中村粂蔵 吉浜町15番地「石炭商中任俠活達にして義を好む者中村粂蔵君を措て他にあらざるなり、君は兵庫の人、明治元年の生なり、 茅海の波六甲の嵐、我々たる氣骨を鍛錬せしか否乎君幼にして孤同地の石炭商岡田商店に入り、明治廿年主人の選抜により横濱の店に轉じ大に辣腕を振ひしが、不幸主家の破産に遭ふ、時に岡田氏の知友なる阿部吾市氏君の商才を愛してその横須賀の店務を托せられき、廿九年中阿部氏其店舗を東京に移すに及び君も東京に行きしが、卅一年獨立して横濱吉濱町に山中商會の名を以て石炭店を開く、多年の経験は遺憾なく發揮せられて八方に其手腕を試み終に同業間中風靡するの勢あり、三十七年石炭商有志會設立さるるや副會長に推され、次で石炭東會設立の時其會長に選擧せらて貢献する所頗る多し、又斯界の傑物といふべきなり、」横浜成功名誉鑑
中村粂蔵 吉浜町15番地「艱難汝を玉にすとは古来の金言なり名を擧げ家を起す豈偶然ならんや夫れ洋の東西時の古今を問けず成功を以て目せらるるもの多し然れども其歴史を探究すれば皆能く百難を排し慘苦を甞め以て天資の盛運を捕捉する者ならざるはなし君が半生の歴史も亦這般の消息を傅ふるものか君は兵庫縣神戸市東出町西組の産父を彌兵衛と稱す君は其二男にして明治元年六月十七日を以て生る五歳にして父を喪ひ十一歳にして母を失ふ嫩葉嵐に萎むが 如く君の悲歎抑も如何なりけんされば君は茲に全く孤獨の身となり涙に袖を絞りあへず斯くて同市の石炭商岡田又兵衛氏方の店丁となり此處に九年の勉勵を重ね大に主人の信用を博したり明治二十年主人の更に横濱市南仲通五丁目に石炭商店開昇組を開業するや君を抜擢して其衝に當らしむ君此處に五年の奮闘を試みが時か命か不幸にも閉店の止む無きに至りたり同時に主人岡田氏の知友なる石炭商阿部吾市氏は君の商才と着實なるとを洞見して横須賀なる己が商店に店員たるを乞ふ君其の乞に任せて居る事四年明治二十九年阿部氏其商店を東京市京橋區南新堀町に移すに當り共に此處に移りて大に其の業を勵む如斯にして君が多年の苦辛勉勵は其商才と信用とを培養し出京後僅かに一年獨立自營の基礎を成就せり君乃ち阿部商店を辞し三十一年の秋横濱市吉濱町に石炭コークス卸小賣及び汽船積込業を開店す爾後繁日に加はりて山中商會の名は嶄然頭角を捧げて市内屈指の商店たるに至る三十七年横濱市內石炭商有志會設立せらるや君は其の副會長に推選せられぬ又東會設立の時其委員となり後會長に選擧せられたり君人と爲り仁俠義を見て爲ざるなく難を見て赴かざるなし當代稀なる義人と調つべし」京浜実業家名鑑
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