貿易新報 |
澁谷周平
小児医
尾上町3丁目34番地
明治の横浜手彩色写真絵葉書
內科小兒科醫師「醫學士澁谷周平君は赤門出の秀才にして、小兒科醫中の泰斗なり、卅六年中横濱に來り門戶を張らるるや、市は囑托醫を以て君を推し、海員救濟會婦人會病院等は君を院長に戴く、患者に接するに叮嚀周密、診療に從うや適切確當、滔々たる刀圭界に超越する所あり、故近藤醫學士養病仙語中君を評して曰く、『圓轉滑脫にして通曉せざるなきは澁谷周平君なり』と、此語最も其の肯綮に當れるを見る、春風會幹事として又横濱醫師會副會長たり、君は文久三年八月江州彥根藩の醫家に生れ、明治廿一年東京醫科大學を卒業し、島根廣島各縣立病院副院長を經て廿五年佐賀縣立病院長に榮進し、名聲夙に藉甚たるものありき、性率直眞摯町醫的一點の邪氣なく、品格の崇高自然に人の信托を維ぐの徳あり、近代罕に見るの眞醫師なり、」横浜成功名誉鑑
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